2015年11月5日木曜日

再読 世界史リブレット人『マキァヴェッリ』

マキァヴェッリとその時代についての関連本である、世界史リブレット人シリーズの一冊、『マキァヴェッリ』を読み返しました。
過去にはじめて読み終えた際の感想はツイートしてありますが、blogにもまとめておきたいと思ったのも読みなおした理由です。

世界史リブレット人『マキァヴェッリ 激動の転換期を生き抜く』

山川出版社 北田葉子著

はじめて読んだ時にも感じましたが、コンパクトなボリュームのなかで、難解すぎずそれでいてほとんど過不足無く、マキァヴェッリの人生と周囲を取り巻く環境・時代をまとめられていると思います。
予備知識がそれなりにある状態で読んでいるため、さほど知識がないかたが読んだ場合はどうなのかは想像しにくいのですが、必要に応じて適宜解説がなされるので(紙面上段にあるので参照も容易)、おそらく難易度的には問題ないと思います。
通俗的なイメージに惑わされず、学問的に見たマキァヴェッリと、彼をとりまく環境を知りたい方にとっては手始めとしてふさわしい一冊ではないでしょうか。

以下、章ごとに簡単な内容の紹介をしていきます。

マキァヴェッリの虚像と実像

マキァヴェッリという人名にまとわりつく、「目的のためには手段を選ばない」「権謀術数」などの通俗的なイメージに対して、実際の彼はどうだったかがまずはじめに導入として語られます。
彼がどのような人物だったのかをちょっとみてみよう。もちろん頭は非常に切れる人物だが、いわゆるくそまじめなタイプではない。むしろ彼は、冗談好きで愉快な人物である。機知に富み、悪ふざけも辞さない。彼は貪欲に生を謳歌する。…そして彼は政治も好きである。同じ書簡に、追いかけている女の話とまじめな政治の話、両方書くこともある。ただし、まじめに政治を論じる時の彼は決してふざけはしない。 p.2
彼の性格や事跡・人生をざっと紹介しつつ、「マキァヴェッリの人生や思想をとおして、中世から近世へと移り変わる時代をみていく」ことが本書のテーマであることを明らかにし、以降の構成について説明をしていきます。
構成に付随して、本書によく登場する人物であるフランチェスコ・グイッチャルディーニが紹介されますが、彼はマキァヴェッリの著名な友人のひとりであり、人生を語るうえで必須といえるほどの存在といえます。
マキァヴェッリも彼も、政治の中に生き、政治から退いたのちに著作をなした人物であり、ある時期には行動をともにする同志でもありました。

①マキァヴェッリにおける伝統と革新

「伝統」とは、当時のフィレンツェ共和国に息づいていた人文主義のことです。マキァヴェッリも人文主義的な教育をうけ、長じてから著した複数の著作についても、文章の様式などに強く影響が残っています。
彼の受けた教育と育った環境という文脈を説明したのちに、一般的に「革新」とみなされる「政治とモラルや宗教の分離」という彼の特徴的な主張について簡潔な解説がされます。

本書の内容から離れますが、実は「革新」については論者によって解釈に幅があるようです。
天才性・革新性を強調する意見と、それに対して当時の環境や文脈を考慮したうえで再評価を行うといった議論はさまざまな史上の人物において行われることではありますが、マキァヴェッリについても例外ではありません。

②書記官マキァヴェッリ

彼が生きた15世紀末~16世紀初頭のイタリア半島の情勢の説明と、そのなかで彼が重ねたキャリアについて語られます。
外交使節としての働きについて、現在のようなスマートな外交は期待するべくもなく、当時の外交官が苦労したお金の工面や社交といった様々な苦労が紹介されます。
そしてもうひとつ、有名な業績であるフィレンツェ市民軍の創設について少し引用してみます。
〇六年の一月にはフィレンツェ近郊に自ら徴兵に出かけた。軍事訓練をおこなう担当者は、チェーザレ・ボルジアの腹心であったミゲル・デ・コレリャである。こうして同年二月十五日、カーニヴァルの日に閲兵式がシニョリーア広場でおこなわれた。それを見た市民ランドゥッチは、「フィレンツェ市でこれまでおこなわれたことのない素晴らしいものだった」と日記に記している。 p.35

(この部分、惣領冬実の漫画『チェーザレ』的なビジュアルで再現されるとさぞ華やかなシーンになるだろうと思いました。ミゲルをはじめとして登場人物はイケメン揃いですし)

華々しくパレードを行った市民軍は、長年にわたるフィレンツェ共和国の懸案であったピサ再征服の一翼を担い、まずまずの成功をおさめましたが、後に、
しかし一五一二年にフィレンツェ近郊のプラートがメディチ家の復帰を狙うスペイン軍によって襲撃されたとき、マキァヴェッリの軍隊にそれを防ぐ力はなかった。メディチ家のフィレンツェへの復帰後、彼の軍隊も解散されることになる。 pp.35-36
という、残念な結果に終わりました。政権は崩壊し、マキァヴェッリの官僚としてのキャリアも終わりを告げることになります(キャリア終了の部分は次章で紹介されます)。

本章のなかで、常備軍という用語がたびたび使用されている点は少し気になりました。市民によって構成された、常備編成されている軍隊という意味合いなのかもしれませんが、マキァヴェッリの市民軍を語る上では、若干そぐわない感があります。
彼が指向したのは領国内から徴発されて軍務につく市民軍ですが、一般的な常備軍は出身国を問わない傭兵を常時雇用によって国軍へ吸収されていく動きの中で形成されていったという印象が強いためです(常備軍の発展と傭兵は切り離せないくらいのイメージをもっています)。

③共和政と君主政

先述の通り、メディチ家のフィレンツェ復帰にともなってマキァヴェッリは書記局を解任され、さらには反メディチ運動を企んでいた人物のもっていた紙切れに名前があげられていたために、投獄され拷問をうける羽目になりました。ジョヴァンニ・デ・メディチが教皇レオ十世となったことの大赦で釈放されますが、1,000フィオリーニという高額の保証金の支払いを命じられます。
(参考:14~15世紀の大人の労働者の賃金が年平均30フィオリーニ程度、1427年ごろのフィレンツェにおける、大人一人の年間生活費が14フィオリーニ程度。『イタリア都市社会史入門』による)

保証金は友人などから借金をして支払ったようですが、職もなく多額の借金をかかえたために、フィレンツェ市内を引き払い、所有していた市外の田舎にある山荘へ引っ越すことになりました。のちにフィレンツェ市内にもどり「オルティ・オルチェッラーリ」という文芸サークルに参加することになりますが、この期間は正式な職を得ることができず、失意の時代といえるでしょう。

この間に書かれた『君主論』と『ディスコルシ(ローマ史論、リウィウス論などとも)』がマキァヴェッリの政治思想における代表作となりますが、前者は君主政を論じ、後者は共和政を論じています。 それぞれの政治思想のどちらをよしと考えたのか。彼の思想の一貫性について議論が行われ、さまざまな解釈を生み出すことになりました。
本章では鹿子生浩輝氏の『征服と自由――マキァヴェッリの政治思想とルネサンス・フィレンツェ』を紹介し、 マキァヴェッリの理想は共和政にあったとする説を採っています。

④歴史を見る目

この章では、マキァヴェッリがメディチ家から執筆を依頼された『フィレンツェ史』に関する話題を中心に、マキァヴェッリの時代認識を探っていきます。

1520年に、あのメディチ家から『フィレンツェ史』の執筆を依頼されました。『君主論』は、職を求めて、メディチ家の若君へ献呈した作品だったのですが、その際には直接職に結びつくことはありませんでした。が、今回は正式な契約が結ばれており、それ以前にマキァヴェッリが行っていたさまざまなメディチとの関係改善の手立てが実を結んだといえます。
とはいえ、メディチ家の歴史や政策のすべてに好意的であったわけではなく、『フィレンツェ史』を著述するにあたっても若干の婉曲的な記述を行わざるを得なかったようです。

『フィレンツェ史』にみえる彼の同時代認識は、危機の時代にふさわしく厳しいものでした。
マキァヴェッリは、同時代のイタリアそしてフィレンツェは堕落しているとする。…世界は腐敗しつつある。…彼は歴史の有用性を信じているが、「自由な精神が感動して見習うよう」な歴史は書けない。…もはやフィレンツェは、古代ローマ共和国の理想とはほど遠い、むしろその反対の腐敗の極みにあったというのが、マキァヴェッリの認識である。 pp.54-55
伝記として彼の人生をみるという視点では、この章の期間は先の章から比べて個人的な苦難はやや薄らぎ、かつての書記官時代ほどではないにせよ、彼が待ち望んだ政治の世界に復帰した時代といえましょう。

⑤近世の国家へ

この章では混迷を極め危機が深まっていくのと重なるようなマキァヴェッリの人生の終焉と、没後に訪れたフィレンツェの君主政への移行に関する話題がテーマとなります。

ハプスブルク勢力とフランスという強力な外国勢力に翻弄されるイタリアの危機に対し、マキァヴェッリは、教皇庁のロマーニャ総督などの重職にあったグイッチャルディーニとともに行動をおこしていました。
1527年に「ローマ劫掠」がおきたのち、フィレンツェからメディチが追放されたことを聞き及び、フィレンツェにもどってあらたな体制の中でも政治に関わろうとしますが、そこにはマキァヴェッリの居場所はなく、あえなく病死することになります。

本章はおそらく本書で一番特徴的な部分で、ありがちな伝記とは一味違った面白い視点を提供しています(著者の北田葉子氏は近世フィレンツェ、メディチによる君主政時代が専門のようです)。
マキァヴェッリ没後のメディチ家による君主国時代におけるフィレンツェのひとびとの意識の変貌と、それに対してマキァヴェッリの著作における共和政の民衆を君主政に馴染ませるための方策を照らしあわせ、中世の共和政国家から近世の君主政国家へと移り変わっていく様相を鮮やかに描き出しています。

以上、かいつまんで内容を紹介しました。
本書中の解説や説については、概ね納得しているものの、幾つかの要素についてはちょっと違和感をもったものもあります。
とはいえ、冒頭でしるした通り、なんといっても読みやすく、しかもきちんとした史学に基づいたコンパクトな伝記は得難いものであるので、本書の出版された意義は大きいと思います。



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