2015年11月24日火曜日

世界史リブレット人『ガザーリー』を読みました

今回の読書も世界史リブレット人シリーズから。さっくり読めるボリュームだし次のblog更新は早めにできそうなどと思っていたのに、気がつけば随分と間があいてしまいました。

世界史リブレット人『ガザーリー 古典スンナ派思想の完成者』

山川出版社 青柳かおる著


世界史リブレット人シリーズのテーマ、「人を通して時代を読む」のとおり、今回もガザーリーの事跡を通じて中世イスラームにおける政治状況、思想の展開を見通す内容となっています。
彼以前のイスラーム史の概略を簡潔な説明でおさえたのちに(これがまさに簡潔というべきで、事前の知識がなくてもざっと流れが読み取れるほど)、彼の事跡やそこからの影響を受け発展したイスラーム神学・哲学・法学について紹介していきます。
最後の章は、現在のイスラームをめぐる諸問題の中でもしばしば論じられる、女性の権利とイスラームについてが中心のやや異色といえる内容でしたが、たまたまtwitterで話題になっていたテーマだったので個人的にはタイムリーなテーマでした。

総じて文章は平易で解説も豊富なため、一般向けである本シリーズとして及第点、平均以上の出来と思います。
イスラームに関心がなければガザーリーがテーマの本を手に取ることは考えにくく、関連知識がない人が読むことはあまり無さそうですが、イスラーム関連知識がない読者でも充分読めるのは美点だといえるでしょう。

(といいつつも。イスラーム法学と神学と哲学はそれぞれ複数の派にわかれているし、そもそもスンナ派はともかくシーア派は多数の宗派にわかれているので、そういった意味でのややこしさはどうにもならないですが。)

ガザーリーの業績のなかでも重要な、スーフィズム(イスラーム神秘思想)とイスラーム神学・法学・哲学との折衷・調和について、具体例や歴史的展開などの紹介がされた章は、本書を読んでいて一番興味深い部分でした。

形式的な信仰生活と内心の問題と、それに抗して神へ近づくための行動は他の宗教でもみられるものではあると思いますが(カトリックでも懺悔が一般的になる以前は、教会が個々人の内心に踏みこむことはなかった)、イスラームの場合は他者の内心に踏み込まずという原則があったので、その点で切実さがあったのかなあという気がします。
他者の内心を勝手に忖度せず、安易に不信仰者扱いしないという方針は信仰を理由とした紛争を未然に防ぐという点で効果的ですが、その一方では現世主義に陥らないための歯止めが効きにくいことでもあるのかなと。

神と個人との関係を追求するスーフィズムは、ガザーリーなどの貢献によって理論などの基盤が構築されたうえに、庶民が難しいことを考えずとも実践できる具体的な生活習慣と修行が整理されたので、俗世から離れる隠者のみならず、広く一般に広まることになりました。



2015年11月5日木曜日

再読 世界史リブレット人『マキァヴェッリ』

マキァヴェッリとその時代についての関連本である、世界史リブレット人シリーズの一冊、『マキァヴェッリ』を読み返しました。
過去にはじめて読み終えた際の感想はツイートしてありますが、blogにもまとめておきたいと思ったのも読みなおした理由です。

世界史リブレット人『マキァヴェッリ 激動の転換期を生き抜く』

山川出版社 北田葉子著

はじめて読んだ時にも感じましたが、コンパクトなボリュームのなかで、難解すぎずそれでいてほとんど過不足無く、マキァヴェッリの人生と周囲を取り巻く環境・時代をまとめられていると思います。
予備知識がそれなりにある状態で読んでいるため、さほど知識がないかたが読んだ場合はどうなのかは想像しにくいのですが、必要に応じて適宜解説がなされるので(紙面上段にあるので参照も容易)、おそらく難易度的には問題ないと思います。
通俗的なイメージに惑わされず、学問的に見たマキァヴェッリと、彼をとりまく環境を知りたい方にとっては手始めとしてふさわしい一冊ではないでしょうか。

以下、章ごとに簡単な内容の紹介をしていきます。

マキァヴェッリの虚像と実像

マキァヴェッリという人名にまとわりつく、「目的のためには手段を選ばない」「権謀術数」などの通俗的なイメージに対して、実際の彼はどうだったかがまずはじめに導入として語られます。
彼がどのような人物だったのかをちょっとみてみよう。もちろん頭は非常に切れる人物だが、いわゆるくそまじめなタイプではない。むしろ彼は、冗談好きで愉快な人物である。機知に富み、悪ふざけも辞さない。彼は貪欲に生を謳歌する。…そして彼は政治も好きである。同じ書簡に、追いかけている女の話とまじめな政治の話、両方書くこともある。ただし、まじめに政治を論じる時の彼は決してふざけはしない。 p.2
彼の性格や事跡・人生をざっと紹介しつつ、「マキァヴェッリの人生や思想をとおして、中世から近世へと移り変わる時代をみていく」ことが本書のテーマであることを明らかにし、以降の構成について説明をしていきます。
構成に付随して、本書によく登場する人物であるフランチェスコ・グイッチャルディーニが紹介されますが、彼はマキァヴェッリの著名な友人のひとりであり、人生を語るうえで必須といえるほどの存在といえます。
マキァヴェッリも彼も、政治の中に生き、政治から退いたのちに著作をなした人物であり、ある時期には行動をともにする同志でもありました。

①マキァヴェッリにおける伝統と革新

「伝統」とは、当時のフィレンツェ共和国に息づいていた人文主義のことです。マキァヴェッリも人文主義的な教育をうけ、長じてから著した複数の著作についても、文章の様式などに強く影響が残っています。
彼の受けた教育と育った環境という文脈を説明したのちに、一般的に「革新」とみなされる「政治とモラルや宗教の分離」という彼の特徴的な主張について簡潔な解説がされます。

本書の内容から離れますが、実は「革新」については論者によって解釈に幅があるようです。
天才性・革新性を強調する意見と、それに対して当時の環境や文脈を考慮したうえで再評価を行うといった議論はさまざまな史上の人物において行われることではありますが、マキァヴェッリについても例外ではありません。

②書記官マキァヴェッリ

彼が生きた15世紀末~16世紀初頭のイタリア半島の情勢の説明と、そのなかで彼が重ねたキャリアについて語られます。
外交使節としての働きについて、現在のようなスマートな外交は期待するべくもなく、当時の外交官が苦労したお金の工面や社交といった様々な苦労が紹介されます。
そしてもうひとつ、有名な業績であるフィレンツェ市民軍の創設について少し引用してみます。
〇六年の一月にはフィレンツェ近郊に自ら徴兵に出かけた。軍事訓練をおこなう担当者は、チェーザレ・ボルジアの腹心であったミゲル・デ・コレリャである。こうして同年二月十五日、カーニヴァルの日に閲兵式がシニョリーア広場でおこなわれた。それを見た市民ランドゥッチは、「フィレンツェ市でこれまでおこなわれたことのない素晴らしいものだった」と日記に記している。 p.35

(この部分、惣領冬実の漫画『チェーザレ』的なビジュアルで再現されるとさぞ華やかなシーンになるだろうと思いました。ミゲルをはじめとして登場人物はイケメン揃いですし)

華々しくパレードを行った市民軍は、長年にわたるフィレンツェ共和国の懸案であったピサ再征服の一翼を担い、まずまずの成功をおさめましたが、後に、
しかし一五一二年にフィレンツェ近郊のプラートがメディチ家の復帰を狙うスペイン軍によって襲撃されたとき、マキァヴェッリの軍隊にそれを防ぐ力はなかった。メディチ家のフィレンツェへの復帰後、彼の軍隊も解散されることになる。 pp.35-36
という、残念な結果に終わりました。政権は崩壊し、マキァヴェッリの官僚としてのキャリアも終わりを告げることになります(キャリア終了の部分は次章で紹介されます)。

本章のなかで、常備軍という用語がたびたび使用されている点は少し気になりました。市民によって構成された、常備編成されている軍隊という意味合いなのかもしれませんが、マキァヴェッリの市民軍を語る上では、若干そぐわない感があります。
彼が指向したのは領国内から徴発されて軍務につく市民軍ですが、一般的な常備軍は出身国を問わない傭兵を常時雇用によって国軍へ吸収されていく動きの中で形成されていったという印象が強いためです(常備軍の発展と傭兵は切り離せないくらいのイメージをもっています)。

③共和政と君主政

先述の通り、メディチ家のフィレンツェ復帰にともなってマキァヴェッリは書記局を解任され、さらには反メディチ運動を企んでいた人物のもっていた紙切れに名前があげられていたために、投獄され拷問をうける羽目になりました。ジョヴァンニ・デ・メディチが教皇レオ十世となったことの大赦で釈放されますが、1,000フィオリーニという高額の保証金の支払いを命じられます。
(参考:14~15世紀の大人の労働者の賃金が年平均30フィオリーニ程度、1427年ごろのフィレンツェにおける、大人一人の年間生活費が14フィオリーニ程度。『イタリア都市社会史入門』による)

保証金は友人などから借金をして支払ったようですが、職もなく多額の借金をかかえたために、フィレンツェ市内を引き払い、所有していた市外の田舎にある山荘へ引っ越すことになりました。のちにフィレンツェ市内にもどり「オルティ・オルチェッラーリ」という文芸サークルに参加することになりますが、この期間は正式な職を得ることができず、失意の時代といえるでしょう。

この間に書かれた『君主論』と『ディスコルシ(ローマ史論、リウィウス論などとも)』がマキァヴェッリの政治思想における代表作となりますが、前者は君主政を論じ、後者は共和政を論じています。 それぞれの政治思想のどちらをよしと考えたのか。彼の思想の一貫性について議論が行われ、さまざまな解釈を生み出すことになりました。
本章では鹿子生浩輝氏の『征服と自由――マキァヴェッリの政治思想とルネサンス・フィレンツェ』を紹介し、 マキァヴェッリの理想は共和政にあったとする説を採っています。

④歴史を見る目

この章では、マキァヴェッリがメディチ家から執筆を依頼された『フィレンツェ史』に関する話題を中心に、マキァヴェッリの時代認識を探っていきます。

1520年に、あのメディチ家から『フィレンツェ史』の執筆を依頼されました。『君主論』は、職を求めて、メディチ家の若君へ献呈した作品だったのですが、その際には直接職に結びつくことはありませんでした。が、今回は正式な契約が結ばれており、それ以前にマキァヴェッリが行っていたさまざまなメディチとの関係改善の手立てが実を結んだといえます。
とはいえ、メディチ家の歴史や政策のすべてに好意的であったわけではなく、『フィレンツェ史』を著述するにあたっても若干の婉曲的な記述を行わざるを得なかったようです。

『フィレンツェ史』にみえる彼の同時代認識は、危機の時代にふさわしく厳しいものでした。
マキァヴェッリは、同時代のイタリアそしてフィレンツェは堕落しているとする。…世界は腐敗しつつある。…彼は歴史の有用性を信じているが、「自由な精神が感動して見習うよう」な歴史は書けない。…もはやフィレンツェは、古代ローマ共和国の理想とはほど遠い、むしろその反対の腐敗の極みにあったというのが、マキァヴェッリの認識である。 pp.54-55
伝記として彼の人生をみるという視点では、この章の期間は先の章から比べて個人的な苦難はやや薄らぎ、かつての書記官時代ほどではないにせよ、彼が待ち望んだ政治の世界に復帰した時代といえましょう。

⑤近世の国家へ

この章では混迷を極め危機が深まっていくのと重なるようなマキァヴェッリの人生の終焉と、没後に訪れたフィレンツェの君主政への移行に関する話題がテーマとなります。

ハプスブルク勢力とフランスという強力な外国勢力に翻弄されるイタリアの危機に対し、マキァヴェッリは、教皇庁のロマーニャ総督などの重職にあったグイッチャルディーニとともに行動をおこしていました。
1527年に「ローマ劫掠」がおきたのち、フィレンツェからメディチが追放されたことを聞き及び、フィレンツェにもどってあらたな体制の中でも政治に関わろうとしますが、そこにはマキァヴェッリの居場所はなく、あえなく病死することになります。

本章はおそらく本書で一番特徴的な部分で、ありがちな伝記とは一味違った面白い視点を提供しています(著者の北田葉子氏は近世フィレンツェ、メディチによる君主政時代が専門のようです)。
マキァヴェッリ没後のメディチ家による君主国時代におけるフィレンツェのひとびとの意識の変貌と、それに対してマキァヴェッリの著作における共和政の民衆を君主政に馴染ませるための方策を照らしあわせ、中世の共和政国家から近世の君主政国家へと移り変わっていく様相を鮮やかに描き出しています。

以上、かいつまんで内容を紹介しました。
本書中の解説や説については、概ね納得しているものの、幾つかの要素についてはちょっと違和感をもったものもあります。
とはいえ、冒頭でしるした通り、なんといっても読みやすく、しかもきちんとした史学に基づいたコンパクトな伝記は得難いものであるので、本書の出版された意義は大きいと思います。



2015年11月3日火曜日

ちくま新書『近代中国史』の感想

今回の読書は前回の『「反日』中国の文明史』から引き続き、同じ中国もの。こちらは経済メインという違いはあれど、長期視点で中国文明の構造を読み解き、現在に至るまでの過程を解き明かしていくという点で同じアプローチといえます。

ちくま新書『近代中国史』

筑摩書房 岡本隆司著

ある程度の中国史の知識はあった方がわかりやすいとは思いますが、無ければ理解不可ということもなく、一般向け対象の新書として及第点といえると思います。

経済と題についている通り経済構造の解説が主ですが、なぜそのような構造が成立していったのかを探求するうえで、黄河流域と長江流域という大きく異なる環境による発展の違いや、儒教を含む文化面への考察など、純粋な経済以外の点についてもある程度目配りがされた内容となっています。

士大夫と庶民、官と民という二重構造によって、お上と一般民衆が乖離した体制、政府が社会保障を行わず(ある種の小さい政府といえます)、それらの機能を補完していた多数の民間の中間団体(血族による結合である宗族、宗教団体、同郷同業団体である幇や行など)が社会に不可欠だったという状況については多少知識はありましたが、多数の例を図や数字によって具体的に示されるとインパクトがあります。
これらによって生じた政府への懐疑と国民という一体感・信頼感の欠如は、近代国民国家の形成による産業革新や富国強兵を目指すうえで大きな障害となりました。

本書では用いられていないですが、中国における政府と庶民の間をあらわすものとして「上に政策あれば下に対策あり」という文が有名です。先述の政府とそれを構成する上層エリートと庶民の乖離が、現代に至っても解消しきれていないことを示す一例といえるかと思います。

肝心の経済構造についての議論ですが、あいかわらず経済は特に苦手でまとめにくいので、各自でご確認をお願いしたいと思います。
地域間決済の銀と地域内決済の銅銭や紙幣という構造については、岩波の『貨幣システムの世界史』を参照されるのも良いかと思います。本書にあらわれた近世・近代の中国はもちろん、それ以外の地域・時代の例についても参照できて、より深く掘り下げて理解したい方にはおすすめです(こちらの本はより専門的で難しくはありますが)。

以上本書について興味深かった点、面白かった点を(大雑把かつ適当ではありますが)紹介しました。

大筋とさほど関連のない些細な点ですが、若干気になった部分があったので記述しておきます。
「日本で経済成長といえば、「ものづくり」であり、技術開発である。「世界の工場」となった中国でも、もちろん製造業が盛んではあるけれども、創意工夫を旨とし先端技術を競う「ものづくり」を中国で想像することはおよそできない。自前の技術だと言い張って運行をはじめた中国版新幹線・高速鉄道は、その好例である。
そこからすぐ連想するのは、技術やパテント、あるいは著作権を尊重しない態度であり、いわゆる「パクリ」や海賊版が横行する現状も、その根源は同じだろう。それでどうして高度成長が可能だったのか。日本人の感覚では、どうにもわかりにくい。」p.12
引用部分は中国と「パクリ」に関するよく見られるタイプの言説ですが、安易な日本との比較論は妥当性を欠くような気がしてなりません。「現在の」日本では著作権の尊重は当然であり、技術・デザインなどの剽窃は非難されてしかるべきと考えられていますが、「高度成長」期の日本においても果たしてそうだったでしょうか。

文献を引用して指し示すことができないので説得力に欠けるとは思いますが、日本の製品がブランドを確立する以前においては、アメリカやヨーロッパ諸国の先行するブランドの模倣はしばしばみられたことだったように思います。市場に受け入れられている商品のコピーを廉価な労働力で製造することは近年の中国のみならず日本の成長期においてもみられた現象であり、さらに広く世界を見渡しても他に例を挙げることが可能な、後進国の製造業において普遍的にみられることなのではと考えます。

製造業以外についての著作権の尊重に関しても同様です。30年以上前の話ですが、会社で使用する事務用アプリの複数台使用は当たり前で、1本購入した後はコピーを配布し、事務所内の他のPCでも使用していました。使用台数分のライセンスを購入せずに済ませていたのはごく普通の「感覚」であったそうです。娯楽用途であるPCゲームソフトにおいてもコピーが蔓延していたのは、一昔前のゲーム事情にある程度関心がある方はご存知だと思います。

もちろん、現代のように著作権にたいして意識が高くなった時代における中国の例と日本の成長期を同じ基準で比較するのはおかしいという指摘は正当と思いますし、中国における著作権問題を免罪したいわけでもありません。それでも、引用部のような、日本人と中国人の感覚の違いという、印象論めいた安易な比較への反証として、一定の価値があると考えます。

この節を記述していて思い出したのですが、『「反日』中国の文明史』にも同じようなニュアンスの言説が載せられていたような(ガンダムコピー云々だったかな?)。日中の差異を強調するうえでわかりやすく、使いやすいのかもしれませんが、問題のほうが多い説明の仕方のように思います。