紹介とは言うものの、前提知識や能力が不足して充分に内容を咀嚼しきれていない上、読書開始から読み終わるまで時間がかかったために早くも記憶が薄れている部分がありますので、あくまでも未熟な一読者の感想という事でその点ご了承を。
『西欧中世史〈上〉―継承と創造 (MINERVA西洋史ライブラリー)』
ミネルヴァ書房 佐藤彰一/早川良弥編著副題は、この時代に興味があって何冊か手にとったことがある方ならピンとくると思いますが、ご想像通り古代からの継承と、中世における新要素の創造・展開を指しています。
ということで古代からの断絶と連続性についての話題がたびたび登場するわけですが、古代ローマ、とりわけ末期に関しての知識が身についておらず、本書を読み解くうえできびしい事態を多々招くことになりました。
1995年出版の本ということで、ひょっとしたら現在の研究では覆されたり疑義を呈されたりする部分があるかもしれませんが、全般的には大丈夫なのではと(希望的観測で)考えています。
以下に章タイトルと執筆者、読んでいて興味深かった点をざっくりと紹介。その論説の適切なまとめや紹介とはなっていないので、論説のテーマに関して理解を深めたいかたは、直接手にとってお読みになってはいかがでしょうか。
概説 継承と創造
古代ローマ帝国末期の混乱からゲルマン系国家の成立、フランクの覇権、カロリング帝国崩壊後の諸王国並立にいたるまでの期間、政治・社会・宗教の重要な要素をかいつまんで解説されています。1 聖人とキリスト教的心性の誕生 佐藤彰一
「この小論は高貴古代から中世の転換期における、主にガリアでの聖人の社会的機能を探る試みであるが、真の意味での聖人の本質的属性をなすのが禁欲修行であるところから、まず禁欲的自己規律の思想的心性史的背景を多少時間を遡って、また東地中海世界も含めて検討しなければならない。」p.46聖人の代表的な属性である禁欲修行について、ギリシア・ローマ的禁欲の起源と、その要素を引き継いだキリスト教世界における禁欲を紹介したのちに聖人について解説。
聖人は、治癒などを含む奇跡を行う一般にイメージしやすい典型的な聖人と、司教としての社会的な活動を通じて、地域共同体の政治・社会生活でさまざまな貢献を果たした司教聖人といえるようなタイプがそれぞれ存在していたとのこと。
前者のタイプの聖人であるマルティヌスはたびたび奇跡を成してひとびとに崇敬されたのですが、ある研究者は奇跡を史料から63例拾いだしたうえで、
- 幻視や予言など超自然的なものとの出会いが23例
- 異境の神殿の倒壊や火災といった自然現象が18例
- 死者蘇生や疾病、機能障害ならびに精神錯乱者の治癒という治療行為が22例
例えばこんな具合に。
「死者蘇生については、経験を積んだ刑吏による絞首刑ではなく、自らの手による縊死の試みであったところから、くだんの奴隷は息を引き取っていなかった可能性が大きい。
言葉と四肢の動きを奪われた娘の場合は、マルティヌスが用いた芳香油が効力を発揮したのではないかと専門家は見ている。
…料理人の狂乱は菌糸類の食物、テングダケの摂取による中毒症状に類似しているとされる。…すぐに原因を察知したマルティヌスは、最初嘔吐によって未消化の毒キノコを体外に出そうと試み、手を料理人の口に入れたのであった。」p.56
マルティヌスは俗人時代に軍隊勤務をしており、そのさいに緊急医療の初歩的知識や経験を身に着けたのであろうと推測されているそうです。
そういった奇跡の合理的説明や聖人のキャリアパスからの推測には物語的な面白さがあり、ついつい創作関係でもちいられているネタを連想してしまうほどでした(web投稿小説でみかける現代からの転生主人公が、先進的な現代知識であれこれのパターンだな、みたいな)。
もちろんただ面白がるだけではなく、そういった合理的な技術とともに宗教的・精神的な言行によるケアが付随していたという点はきちんと心に留めておく必要があります。
「マルティヌスが治癒奇跡の実現にしばしば成功したのは、…心身相関的な病気であった。そのよってきたる原因は極度の不安である。三世紀初頭以来の絶えざる戦乱、とくにガリアで激しかったバガウダエと呼ばれる下層農民大衆の反乱の嵐、飢餓、国家による苛烈な収奪、そして蛮族の度重なる侵入、…人びとの不安をかきたてずにはおかなかった。
…こうした心理状態の表現として、肉体と精神の双方に関わる病気と強迫観念があったのである。病院は組織的というより機能的なものであり、心理療法や催眠療法による暗示と医学的処置の適切な組み合わせで治療が可能であったが、暗示の言葉はここでは一介の心理療法士のそれではなく、義なる神の言葉であった。」p.58
2 ゲルマン部族王権の成立――東ゴート族の場合 岡地稔
ゲルマン部族の王権は、宗教的であり、祭祀を司る神聖王と、その後にあらわれはじめる、軍事上の成果や軍事力そのものを背景とした軍隊王にわかれますが、後者について東ゴートのテオドリック王のケースを中心に分析する内容となります。ローマに対して特定の官職(ローマ体制内での軍事指導職)を要求したという点は、大陸東方の中華王朝でも同様の事例があったような気がするので(うろ覚えで出典を付けられないのがあれですが)、比較してみると面白いかもしれません。
3 政治支配と人的紐帯 森義信
メロヴィング朝やカロリング朝というフランク族の国家について、王権のありかたや法の適応、従士制と封建といった軍事など、支配とひとに関する事柄についての解説になります。4 キリスト教と俗人教化 小田内隆
キリスト教と王権の結びつき、教化の過程における聖職者の文化と、民衆の異教的要素や呪術といった素朴な宗教的感情がどのように交わっていったのかなど、中世に進展する社会のキリスト教化について解説されています。天上の王国に対する地上の「キリストの王国」 と、比喩的に表現された「キリストの身体」という概念が紹介されますが、この本が対象とする初期のみならず、中世の全期間を通して、政治や国家システム、統治の正統性に関連して重要な概念でありつづけます(という理解ですが、正しいと良いなあ…)。
5 所領における生産・流通・支配 森本芳樹
古典荘園制の研究史おさらいののちに具体的な史料をもって表題について紹介・検討が行われます。想像以上に遠方へ運搬賦役が行われており、 片道150kmに及んでいる例が紹介されていますが、こういった具体例には典型的な中世農村のイメージを打ち壊す威力があるように感じました。
6 西欧中世初期社会の流通構造―パリ周辺地域を中心に 丹下栄
地中海の遠隔地交易の地盤低下と、北海交易の重要性の拡大、金貨から銀貨への変化と銀貨の普及など、交易と流通についての論説です。この論説の範囲から外れますが、中世盛期から興隆していくイタリア都市国家は、著名なドゥカートやフィオリーナといった金貨を造幣することになるので、中世初期に廃れてしまった金貨への需要がどのように生まれ、どのようにして供給が始まったのか、そのあたりの事情についてあらためてきちんと抑えておきたいと思います。
7 社会的結合 早川良弥
祈祷兄弟盟約や親族集団、ギルドなどの人びとを結びつけた社会的な現象や組織についてまとめられています。「ゲルマン系の人名は…祖先の名前の構成要素をさまざまに組み合わせて子孫に命名したが、九世紀前後からは父祖の名前をそのまま子孫の名前とした。いずれの場合であれ、人名はあたかも相続財産のように子孫に受け継がれ、個人の名前がそのまま家名の役割をもあわせもっていた。それゆえに、「カロリンガー(カール家)」「コンラデイーナー(コンラート家)」「オットーネン(オットー家)」などの多くの例が示すとおり、中世においても今日の研究においても、個人名に「帰属」を意味する接尾語をつけた形あるいは個人名の複数形で、中世初期の一族を言いあらわす。」p.201引用例以外では、メロヴィング家はクローヴィスの祖父メロヴィスに由来した名前のようです。このことを覚えておくと、固有名詞と家名の関連付けがしやすく、多少なりとも記憶のしやすさに貢献しそうな気がします。
8 識字文化・言語・コミュニケーション 佐藤彰一
ラテン語によるコミュニケーションのあれこれと、ラテン語からロマンス語が独り立ちしていく経緯について。カロリーナ小文字について初めて知ったのですが、
「カロリーナ小文字の新しさは、何よりもまずその明快さ、読みやすさにある。…語がそれぞれ他の語と区別され、独立したまとまりとして表現される傾向を強く示している。これは現在のわたくしたちの表現法としてはまったく常識的なことであるが、八世紀以前には必ずしもそうではなかった。語と語のあいだに余白がなく、あたかも暗号文字の羅列のような趣を呈していたのである。」p.231この文字以前のラテン文章解読は相当難渋しそうですね。日本語ならば、分かち書きされていなくても漢字とかな・カナで単語の区切りを弁別しやすいですが、ラテンアルファベットがひとかたまりとなると可読性が低いなんてレベルでは無さそうです。
カロリーナ小文字に関連して、文字の美観という点で連想したことはこちらの記事で。
カロリング・ルネサンスによるラテン語の純化運動は、乖離しつつあっても完全に分離はしていない「高位変種」ラテン語と「低位変種」ラテン語という状態を破壊することになりました。
「カロリング・ルネサンスという一種の純粋主義を指向した文化活動が、一面においてラテン語の浄化の目的を果たすと同時に、他面においてその民衆的基盤を失う結果をももたらした事実が浮かび上がってくるが、後者の側面はまた視点を変えれば民衆文化のラテン語の桎梏からの解放という性格をもつことを見のがしてはならないだろう。」p.236
9 北欧の世界 熊野聰
こちらの記事でも少し紹介しましたが、北欧世界について、農業などの生産手段とそこから規定された社会構成、王権の状態について社会的側面を中心に解説されています。ヴァイキングの語源について言及があり、興味深かったので引用します。
「ヴァイギング(英語 Viking、古北欧語ヴィーキングル vikingr)の語源についてはさまざまな説があって、定説と呼べるものはない。もっとも人気のある俗説は…「入江の人」説であろう。…語源についていえば筆者自身には、「動く」、「向きを変える」、「でかける」を意味する動詞のヴィーキャ(vikja、ドイツ語の weichen「退く」)からの派生語説が説得力をもつように思われる。つまり人びとは通常は、動かない、定着した生活を送っているのだが、ときにこの定着生活の補充のため、交易や掠奪といった遠征・外での稼ぎにでかける。」pp.239-240「入江の人」説は知っていましたが、著者の語るもう一方の説は、(門外漢なので単なる印象ですが)なかなかに説得力に富んでいるように思いますし、ヴァイキング達のありようを考えるうえでも示唆に富むものだと思います。
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