2015年10月7日水曜日

『西欧中世史 上』読書メモ

『西欧中世史〈上〉―継承と創造 (MINERVA西洋史ライブラリー)』読書中のメモ。

カロリング・ルネサンス期に成立した筆記スタイル、カロリーナ小文字について。
「典礼用の書物への配慮は、神や預言者、教父の言葉をたんに正しく伝えることだけには実はとどまらなかった。写本の体裁は、そのテクストに込められたメッセージの価値にふさわしくなければならないという観念が強くうちだされるようになる。…書物は神への祈りであると同時に、供物でもあった。書物の体裁とメッセージは一体であり、美麗な書体と装飾とがメッセージの価値をさらに高めると考えていたのである。」p.233

アラビア文字でも似たような事情はあったような気がしたので確認。

『イスラームの生活と技術 (世界史リブレット)』から引用。
「美しいアラビア文字は、それだけより多く神(アッラーフ)の心にかなうものだとみなされた。そして、このような精神の発露としてアラビア書道が生まれ、さまざまな書体が工夫されたのである。」p.26



『イスラーム成立前の諸宗教 (イスラーム信仰叢書)』から引用。
 「イスラームは、偶像崇拝や、アッラーの創造物を真似て偶像を作ったり、絵に表したりすることを禁じた。そのため絵画や造形美術は発達しなかったが、その代わりに幾何学的文様(アラベスク)の他、アッラーの御言葉であるクルアーンをより美しく書き記すために、書道が未曾有の発達を遂げた。そこで使われた文字は、ナバテア文字から発達したアラビア文字である。…イスラーム前夜のヒジャーズに至っては、文字を書くということ自体、殆ど行われていなかった。…新たなイスラーム政権の公式な文字として採用されたアラビア文字は、数十年間の間に急速な発達を遂げる。遅くともヒジュラ暦二十年代(六四〇~六五〇)には、整ったクーファ書体の岸壁碑文が(図Ⅵ-5)、次いでヒジャーズ書体と呼ばれる文字が写本において出現した。」pp.204-206

※同じ内容をtwitterにてつぶやきましたが、先にこちらに非公開で仕込んでありました。blogを非公開から公開に切り替えちゃおうか考え中。

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