2015年12月16日水曜日

講談社現代新書『メディチ家』を読了

今回の読書は講談社現代新書の『メディチ家』です。

講談社現代新書『メディチ家』

講談社 森田義之著


今までルネサンス関係の本を何冊か読みましたが、振り返るとメディチ家メインの本で読了したのはこれが初めて。
講談社学術文庫の『メディチ家の人びと』を少しめくったことはありましたが、きちんと読まずに置いたままだったりで。
そちらの本は、あとがきによると、文学系の方が著されたとの由で、史実に即していないところもあるらしいので、だったら先に歴史研究者の本を読もうかなと思ったのも、こちらを先にした理由だったりします。

総評としては、難解でつまらないというほどでは無いけれど、若干説明不足か、あるいは詰め込みすぎというべきかと思いました。詰め込みすぎと感じるほどいろいろな記述があるのはある意味利点ともいえそうですが、新書としてはやはりある程度思い切って整理し、その分基本的な部分から解説があったほうが良いと思います。

とはいうものの、メディチ家の出自と紋章の由来、メディチ銀行の財務状況や組織の具体的な数字を挙げての説明や、初代トスカーナ大公コジモ1世に始まる近世のメディチ家の紹介は、興味深く読みました。
とくに、自身の興味の対象がマキァヴェッリ周辺なので、君主化以降の知識がかなり乏しかった部分の補完という点で参考になりました。

本筋とは関係ない部分ではありますが、「オスマン・トルコ」という表現や、通俗的なマキァヴェッリ主義的表現が用いられるのはちょっと気になります。良くあることなので仕方ないと思いつつも、やっぱり何とかならないかなあ、という気分が残ります(1999年初版の本としてはちょっと認識が古いかな……)。

2015年11月24日火曜日

世界史リブレット人『ガザーリー』を読みました

今回の読書も世界史リブレット人シリーズから。さっくり読めるボリュームだし次のblog更新は早めにできそうなどと思っていたのに、気がつけば随分と間があいてしまいました。

世界史リブレット人『ガザーリー 古典スンナ派思想の完成者』

山川出版社 青柳かおる著


世界史リブレット人シリーズのテーマ、「人を通して時代を読む」のとおり、今回もガザーリーの事跡を通じて中世イスラームにおける政治状況、思想の展開を見通す内容となっています。
彼以前のイスラーム史の概略を簡潔な説明でおさえたのちに(これがまさに簡潔というべきで、事前の知識がなくてもざっと流れが読み取れるほど)、彼の事跡やそこからの影響を受け発展したイスラーム神学・哲学・法学について紹介していきます。
最後の章は、現在のイスラームをめぐる諸問題の中でもしばしば論じられる、女性の権利とイスラームについてが中心のやや異色といえる内容でしたが、たまたまtwitterで話題になっていたテーマだったので個人的にはタイムリーなテーマでした。

総じて文章は平易で解説も豊富なため、一般向けである本シリーズとして及第点、平均以上の出来と思います。
イスラームに関心がなければガザーリーがテーマの本を手に取ることは考えにくく、関連知識がない人が読むことはあまり無さそうですが、イスラーム関連知識がない読者でも充分読めるのは美点だといえるでしょう。

(といいつつも。イスラーム法学と神学と哲学はそれぞれ複数の派にわかれているし、そもそもスンナ派はともかくシーア派は多数の宗派にわかれているので、そういった意味でのややこしさはどうにもならないですが。)

ガザーリーの業績のなかでも重要な、スーフィズム(イスラーム神秘思想)とイスラーム神学・法学・哲学との折衷・調和について、具体例や歴史的展開などの紹介がされた章は、本書を読んでいて一番興味深い部分でした。

形式的な信仰生活と内心の問題と、それに抗して神へ近づくための行動は他の宗教でもみられるものではあると思いますが(カトリックでも懺悔が一般的になる以前は、教会が個々人の内心に踏みこむことはなかった)、イスラームの場合は他者の内心に踏み込まずという原則があったので、その点で切実さがあったのかなあという気がします。
他者の内心を勝手に忖度せず、安易に不信仰者扱いしないという方針は信仰を理由とした紛争を未然に防ぐという点で効果的ですが、その一方では現世主義に陥らないための歯止めが効きにくいことでもあるのかなと。

神と個人との関係を追求するスーフィズムは、ガザーリーなどの貢献によって理論などの基盤が構築されたうえに、庶民が難しいことを考えずとも実践できる具体的な生活習慣と修行が整理されたので、俗世から離れる隠者のみならず、広く一般に広まることになりました。



2015年11月5日木曜日

再読 世界史リブレット人『マキァヴェッリ』

マキァヴェッリとその時代についての関連本である、世界史リブレット人シリーズの一冊、『マキァヴェッリ』を読み返しました。
過去にはじめて読み終えた際の感想はツイートしてありますが、blogにもまとめておきたいと思ったのも読みなおした理由です。

世界史リブレット人『マキァヴェッリ 激動の転換期を生き抜く』

山川出版社 北田葉子著

はじめて読んだ時にも感じましたが、コンパクトなボリュームのなかで、難解すぎずそれでいてほとんど過不足無く、マキァヴェッリの人生と周囲を取り巻く環境・時代をまとめられていると思います。
予備知識がそれなりにある状態で読んでいるため、さほど知識がないかたが読んだ場合はどうなのかは想像しにくいのですが、必要に応じて適宜解説がなされるので(紙面上段にあるので参照も容易)、おそらく難易度的には問題ないと思います。
通俗的なイメージに惑わされず、学問的に見たマキァヴェッリと、彼をとりまく環境を知りたい方にとっては手始めとしてふさわしい一冊ではないでしょうか。

以下、章ごとに簡単な内容の紹介をしていきます。

マキァヴェッリの虚像と実像

マキァヴェッリという人名にまとわりつく、「目的のためには手段を選ばない」「権謀術数」などの通俗的なイメージに対して、実際の彼はどうだったかがまずはじめに導入として語られます。
彼がどのような人物だったのかをちょっとみてみよう。もちろん頭は非常に切れる人物だが、いわゆるくそまじめなタイプではない。むしろ彼は、冗談好きで愉快な人物である。機知に富み、悪ふざけも辞さない。彼は貪欲に生を謳歌する。…そして彼は政治も好きである。同じ書簡に、追いかけている女の話とまじめな政治の話、両方書くこともある。ただし、まじめに政治を論じる時の彼は決してふざけはしない。 p.2
彼の性格や事跡・人生をざっと紹介しつつ、「マキァヴェッリの人生や思想をとおして、中世から近世へと移り変わる時代をみていく」ことが本書のテーマであることを明らかにし、以降の構成について説明をしていきます。
構成に付随して、本書によく登場する人物であるフランチェスコ・グイッチャルディーニが紹介されますが、彼はマキァヴェッリの著名な友人のひとりであり、人生を語るうえで必須といえるほどの存在といえます。
マキァヴェッリも彼も、政治の中に生き、政治から退いたのちに著作をなした人物であり、ある時期には行動をともにする同志でもありました。

①マキァヴェッリにおける伝統と革新

「伝統」とは、当時のフィレンツェ共和国に息づいていた人文主義のことです。マキァヴェッリも人文主義的な教育をうけ、長じてから著した複数の著作についても、文章の様式などに強く影響が残っています。
彼の受けた教育と育った環境という文脈を説明したのちに、一般的に「革新」とみなされる「政治とモラルや宗教の分離」という彼の特徴的な主張について簡潔な解説がされます。

本書の内容から離れますが、実は「革新」については論者によって解釈に幅があるようです。
天才性・革新性を強調する意見と、それに対して当時の環境や文脈を考慮したうえで再評価を行うといった議論はさまざまな史上の人物において行われることではありますが、マキァヴェッリについても例外ではありません。

②書記官マキァヴェッリ

彼が生きた15世紀末~16世紀初頭のイタリア半島の情勢の説明と、そのなかで彼が重ねたキャリアについて語られます。
外交使節としての働きについて、現在のようなスマートな外交は期待するべくもなく、当時の外交官が苦労したお金の工面や社交といった様々な苦労が紹介されます。
そしてもうひとつ、有名な業績であるフィレンツェ市民軍の創設について少し引用してみます。
〇六年の一月にはフィレンツェ近郊に自ら徴兵に出かけた。軍事訓練をおこなう担当者は、チェーザレ・ボルジアの腹心であったミゲル・デ・コレリャである。こうして同年二月十五日、カーニヴァルの日に閲兵式がシニョリーア広場でおこなわれた。それを見た市民ランドゥッチは、「フィレンツェ市でこれまでおこなわれたことのない素晴らしいものだった」と日記に記している。 p.35

(この部分、惣領冬実の漫画『チェーザレ』的なビジュアルで再現されるとさぞ華やかなシーンになるだろうと思いました。ミゲルをはじめとして登場人物はイケメン揃いですし)

華々しくパレードを行った市民軍は、長年にわたるフィレンツェ共和国の懸案であったピサ再征服の一翼を担い、まずまずの成功をおさめましたが、後に、
しかし一五一二年にフィレンツェ近郊のプラートがメディチ家の復帰を狙うスペイン軍によって襲撃されたとき、マキァヴェッリの軍隊にそれを防ぐ力はなかった。メディチ家のフィレンツェへの復帰後、彼の軍隊も解散されることになる。 pp.35-36
という、残念な結果に終わりました。政権は崩壊し、マキァヴェッリの官僚としてのキャリアも終わりを告げることになります(キャリア終了の部分は次章で紹介されます)。

本章のなかで、常備軍という用語がたびたび使用されている点は少し気になりました。市民によって構成された、常備編成されている軍隊という意味合いなのかもしれませんが、マキァヴェッリの市民軍を語る上では、若干そぐわない感があります。
彼が指向したのは領国内から徴発されて軍務につく市民軍ですが、一般的な常備軍は出身国を問わない傭兵を常時雇用によって国軍へ吸収されていく動きの中で形成されていったという印象が強いためです(常備軍の発展と傭兵は切り離せないくらいのイメージをもっています)。

③共和政と君主政

先述の通り、メディチ家のフィレンツェ復帰にともなってマキァヴェッリは書記局を解任され、さらには反メディチ運動を企んでいた人物のもっていた紙切れに名前があげられていたために、投獄され拷問をうける羽目になりました。ジョヴァンニ・デ・メディチが教皇レオ十世となったことの大赦で釈放されますが、1,000フィオリーニという高額の保証金の支払いを命じられます。
(参考:14~15世紀の大人の労働者の賃金が年平均30フィオリーニ程度、1427年ごろのフィレンツェにおける、大人一人の年間生活費が14フィオリーニ程度。『イタリア都市社会史入門』による)

保証金は友人などから借金をして支払ったようですが、職もなく多額の借金をかかえたために、フィレンツェ市内を引き払い、所有していた市外の田舎にある山荘へ引っ越すことになりました。のちにフィレンツェ市内にもどり「オルティ・オルチェッラーリ」という文芸サークルに参加することになりますが、この期間は正式な職を得ることができず、失意の時代といえるでしょう。

この間に書かれた『君主論』と『ディスコルシ(ローマ史論、リウィウス論などとも)』がマキァヴェッリの政治思想における代表作となりますが、前者は君主政を論じ、後者は共和政を論じています。 それぞれの政治思想のどちらをよしと考えたのか。彼の思想の一貫性について議論が行われ、さまざまな解釈を生み出すことになりました。
本章では鹿子生浩輝氏の『征服と自由――マキァヴェッリの政治思想とルネサンス・フィレンツェ』を紹介し、 マキァヴェッリの理想は共和政にあったとする説を採っています。

④歴史を見る目

この章では、マキァヴェッリがメディチ家から執筆を依頼された『フィレンツェ史』に関する話題を中心に、マキァヴェッリの時代認識を探っていきます。

1520年に、あのメディチ家から『フィレンツェ史』の執筆を依頼されました。『君主論』は、職を求めて、メディチ家の若君へ献呈した作品だったのですが、その際には直接職に結びつくことはありませんでした。が、今回は正式な契約が結ばれており、それ以前にマキァヴェッリが行っていたさまざまなメディチとの関係改善の手立てが実を結んだといえます。
とはいえ、メディチ家の歴史や政策のすべてに好意的であったわけではなく、『フィレンツェ史』を著述するにあたっても若干の婉曲的な記述を行わざるを得なかったようです。

『フィレンツェ史』にみえる彼の同時代認識は、危機の時代にふさわしく厳しいものでした。
マキァヴェッリは、同時代のイタリアそしてフィレンツェは堕落しているとする。…世界は腐敗しつつある。…彼は歴史の有用性を信じているが、「自由な精神が感動して見習うよう」な歴史は書けない。…もはやフィレンツェは、古代ローマ共和国の理想とはほど遠い、むしろその反対の腐敗の極みにあったというのが、マキァヴェッリの認識である。 pp.54-55
伝記として彼の人生をみるという視点では、この章の期間は先の章から比べて個人的な苦難はやや薄らぎ、かつての書記官時代ほどではないにせよ、彼が待ち望んだ政治の世界に復帰した時代といえましょう。

⑤近世の国家へ

この章では混迷を極め危機が深まっていくのと重なるようなマキァヴェッリの人生の終焉と、没後に訪れたフィレンツェの君主政への移行に関する話題がテーマとなります。

ハプスブルク勢力とフランスという強力な外国勢力に翻弄されるイタリアの危機に対し、マキァヴェッリは、教皇庁のロマーニャ総督などの重職にあったグイッチャルディーニとともに行動をおこしていました。
1527年に「ローマ劫掠」がおきたのち、フィレンツェからメディチが追放されたことを聞き及び、フィレンツェにもどってあらたな体制の中でも政治に関わろうとしますが、そこにはマキァヴェッリの居場所はなく、あえなく病死することになります。

本章はおそらく本書で一番特徴的な部分で、ありがちな伝記とは一味違った面白い視点を提供しています(著者の北田葉子氏は近世フィレンツェ、メディチによる君主政時代が専門のようです)。
マキァヴェッリ没後のメディチ家による君主国時代におけるフィレンツェのひとびとの意識の変貌と、それに対してマキァヴェッリの著作における共和政の民衆を君主政に馴染ませるための方策を照らしあわせ、中世の共和政国家から近世の君主政国家へと移り変わっていく様相を鮮やかに描き出しています。

以上、かいつまんで内容を紹介しました。
本書中の解説や説については、概ね納得しているものの、幾つかの要素についてはちょっと違和感をもったものもあります。
とはいえ、冒頭でしるした通り、なんといっても読みやすく、しかもきちんとした史学に基づいたコンパクトな伝記は得難いものであるので、本書の出版された意義は大きいと思います。



2015年11月3日火曜日

ちくま新書『近代中国史』の感想

今回の読書は前回の『「反日』中国の文明史』から引き続き、同じ中国もの。こちらは経済メインという違いはあれど、長期視点で中国文明の構造を読み解き、現在に至るまでの過程を解き明かしていくという点で同じアプローチといえます。

ちくま新書『近代中国史』

筑摩書房 岡本隆司著

ある程度の中国史の知識はあった方がわかりやすいとは思いますが、無ければ理解不可ということもなく、一般向け対象の新書として及第点といえると思います。

経済と題についている通り経済構造の解説が主ですが、なぜそのような構造が成立していったのかを探求するうえで、黄河流域と長江流域という大きく異なる環境による発展の違いや、儒教を含む文化面への考察など、純粋な経済以外の点についてもある程度目配りがされた内容となっています。

士大夫と庶民、官と民という二重構造によって、お上と一般民衆が乖離した体制、政府が社会保障を行わず(ある種の小さい政府といえます)、それらの機能を補完していた多数の民間の中間団体(血族による結合である宗族、宗教団体、同郷同業団体である幇や行など)が社会に不可欠だったという状況については多少知識はありましたが、多数の例を図や数字によって具体的に示されるとインパクトがあります。
これらによって生じた政府への懐疑と国民という一体感・信頼感の欠如は、近代国民国家の形成による産業革新や富国強兵を目指すうえで大きな障害となりました。

本書では用いられていないですが、中国における政府と庶民の間をあらわすものとして「上に政策あれば下に対策あり」という文が有名です。先述の政府とそれを構成する上層エリートと庶民の乖離が、現代に至っても解消しきれていないことを示す一例といえるかと思います。

肝心の経済構造についての議論ですが、あいかわらず経済は特に苦手でまとめにくいので、各自でご確認をお願いしたいと思います。
地域間決済の銀と地域内決済の銅銭や紙幣という構造については、岩波の『貨幣システムの世界史』を参照されるのも良いかと思います。本書にあらわれた近世・近代の中国はもちろん、それ以外の地域・時代の例についても参照できて、より深く掘り下げて理解したい方にはおすすめです(こちらの本はより専門的で難しくはありますが)。

以上本書について興味深かった点、面白かった点を(大雑把かつ適当ではありますが)紹介しました。

大筋とさほど関連のない些細な点ですが、若干気になった部分があったので記述しておきます。
「日本で経済成長といえば、「ものづくり」であり、技術開発である。「世界の工場」となった中国でも、もちろん製造業が盛んではあるけれども、創意工夫を旨とし先端技術を競う「ものづくり」を中国で想像することはおよそできない。自前の技術だと言い張って運行をはじめた中国版新幹線・高速鉄道は、その好例である。
そこからすぐ連想するのは、技術やパテント、あるいは著作権を尊重しない態度であり、いわゆる「パクリ」や海賊版が横行する現状も、その根源は同じだろう。それでどうして高度成長が可能だったのか。日本人の感覚では、どうにもわかりにくい。」p.12
引用部分は中国と「パクリ」に関するよく見られるタイプの言説ですが、安易な日本との比較論は妥当性を欠くような気がしてなりません。「現在の」日本では著作権の尊重は当然であり、技術・デザインなどの剽窃は非難されてしかるべきと考えられていますが、「高度成長」期の日本においても果たしてそうだったでしょうか。

文献を引用して指し示すことができないので説得力に欠けるとは思いますが、日本の製品がブランドを確立する以前においては、アメリカやヨーロッパ諸国の先行するブランドの模倣はしばしばみられたことだったように思います。市場に受け入れられている商品のコピーを廉価な労働力で製造することは近年の中国のみならず日本の成長期においてもみられた現象であり、さらに広く世界を見渡しても他に例を挙げることが可能な、後進国の製造業において普遍的にみられることなのではと考えます。

製造業以外についての著作権の尊重に関しても同様です。30年以上前の話ですが、会社で使用する事務用アプリの複数台使用は当たり前で、1本購入した後はコピーを配布し、事務所内の他のPCでも使用していました。使用台数分のライセンスを購入せずに済ませていたのはごく普通の「感覚」であったそうです。娯楽用途であるPCゲームソフトにおいてもコピーが蔓延していたのは、一昔前のゲーム事情にある程度関心がある方はご存知だと思います。

もちろん、現代のように著作権にたいして意識が高くなった時代における中国の例と日本の成長期を同じ基準で比較するのはおかしいという指摘は正当と思いますし、中国における著作権問題を免罪したいわけでもありません。それでも、引用部のような、日本人と中国人の感覚の違いという、印象論めいた安易な比較への反証として、一定の価値があると考えます。

この節を記述していて思い出したのですが、『「反日』中国の文明史』にも同じようなニュアンスの言説が載せられていたような(ガンダムコピー云々だったかな?)。日中の差異を強調するうえでわかりやすく、使いやすいのかもしれませんが、問題のほうが多い説明の仕方のように思います。



2015年10月24日土曜日

ちくま新書『「反日」中国の文明史』を読みました。

このところ西欧中世史ものばかりだったので、気分転換にまったく違うジャンルをということでこちらを読みました。

ちくま新書『「反日」中国の文明史』(電子版)

筑摩書房 平野聡著

中国と日本の関係について、中国文明の特質を原点から遡って明らかにしたうえで、転機となった近代日本との接触の経緯をときあかします。

高校世界史で何となく大雑把な流れは覚えている、くらいの読者でも十分読めるうえ、非常に見通しが良い明快な論理で解説されるので、読みやすさという点では申し分ありません。
「中国共産党の「反日」教育によって~が~」のような近視眼的なものではなく、中国の文明構造と、それを揺らがせた西洋文明との衝突、西洋文明を一足先に摂取し、西洋文明の模範生としてあらわれた近代日本と関係をもたざるを得なかったという構図から読み解かれていきます。

特に共感をおぼえたのはこの文章でした。
「日本は「智」の政治で、世界中の多くの国から理解を得られる公正な社会を作ればうまく行くということである。
しかし近年、それを否定して上から「徳」を振りかざし、憲法にしても個別の政策でも国民・社会に守らせようとする議論が高まりを見せていることに強い懸念を覚える。もちろん、道徳心は誰にとっても必要な美徳である。しかし、それは上から強いるものではない。個人・社会一般が互いに信頼して美徳を伸ばしていくのは、透明で安心できる社会があってこそである。それを作るのが、国家・政治の国民に対する責任である。その順序を履き違えた議論は、福沢諭吉の予言通りに日本をかつて極端な政治と敗戦に追いやったし、今あらためてこの日本の政治を、中共の支配に似たものへと陥れる危険がある。」あとがきより引用。

昨今のあれこれのうち、道徳を巡る政策の「順序の履き違え」はしばしば感じていたことで、その道徳の根拠となるものが偽史にもとづくでっち上げであったり、いたずらに自国を賛美し、過去のあやまちを見ない・否定する・矮小化する方向であったりすることに辟易としていたので、我が意を得た思いでありました。

以上のように読みやすく、また興味深い内容であった一方で。
こういった、扱うタイムスパンが長くなる巨視的なテーマで、なおかつ分量が限られる一般向け解説の新書や文庫にありがちなことだと思いますが、挙げられている事例や、その事例に対しての解説が良く言えば簡素、悪く言えば粗くなってしまうことが同書でもみられるように感じました。
この本の基本的な主張が覆されるレベルの齟齬は無かったと思いたいですが……(知識不足で突っ込みのしようもないので)

以下に、違和感を受けた部分について引用してみます。
国際外交について解説するための前段として、主権国家体制が成立するウェストファリア条約に至るまでの経緯の部分。
「神聖ローマ帝国の衰えにより、比較的狭い範囲を囲い込んで収益を上げる封建制が一般化し、帝国とは異なる中規模な王権が発達するなか、宗教改革などを通じてローマ教会に対する自立性も増していったのが西洋の中近世の流れということになる。その結果現れた絶対王政の時代、諸国は紛争において互いに譲らず、百年戦争のような混乱も起こった。」第三章「近代国際関係と中国文明の衝突」より引用
まず一点目、神聖ローマ帝国について。
神聖ローマ帝国の「衰え」によって封建制が一般化したという説明は馴染みがないのですが、こういった解釈はあるのでしょうか。神聖ローマ帝国は成立当初から部族大公の大領地が分立し、王権(帝権)には限界がありました。ですので、「衰えた」から狭い地域を囲い込んだ封建制が成立した訳ではないように思います。

神聖ローマ帝国が「衰えた」というと、近世ハプスブルク統治時代の印象が強いです。
「それゆえ、このことを定めたウェストファリア条約は交換、「神聖ローマ帝国の死亡診断書」といわれた。」 講談社現代新書『神聖ローマ帝国』p.226

もうひとつ、絶対王政と百年戦争について。

「百年戦争」が起こったのは中世末期で、近世期の絶対王政時代とはズレています。ドイツ三十年戦争が例ならば比較的近いですし、その後に解説されるウェストファリア条約にもつながって解説として用いやすいと思います。


2015年10月22日木曜日

『西欧中世史〈中〉―成長と飽和』、難解過ぎてギブアップ

現在読書中の『西欧中世史〈中〉―成長と飽和』ですが、読んでいてもさっぱり内容を把握できず、あまりに読んでいて苦痛なので今回はギブアップすることにしました。
〈上〉の読書でも同様のありさまでしたが、〈中〉においてはさらに理解が難しい部分が非常に多かったため、基礎知識をおさえ認識を深めてから再度チャレンジできればと思っています。
(一応テーマによっては読み取りやすかった部分もあり、まるきり無駄では無かったとは思いたいところですが……)

今回にかぎらず、自分の知識レベルより上の、いわば背伸びした状態の読書をすることが多いのでしばしば起きる事態なのですが、今回ほど手ひどくやられたのはひさびさです。
次に読む本はボリューム・内容のレベルともに難易度をさげて、もう少し気軽に読めるものにしたいと思います。

章のタイトルや執筆者名などの情報もあるので、何かの参考にならないこともないかと、記入していた感想まとめの途中までをそのまま置いておきます。

『西欧中世史〈中〉―成長と飽和 (MINERVA西洋史ライブラリー)』

ミネルヴァ書房 江川溫/服部良久編著

ミネルヴァ書房の西欧中世史3分冊のまんなか、中世盛期である11~13世紀が対象の一冊です。
「起源一〇〇〇年と一三四〇年の時点を取れば、イベリア、イタリア、ギリシアなどの地中海沿岸地域は1400万から二一〇〇万と、五〇%の増加があったとされる。
こ れにたいし、現在のイギリス、フランス、ベネルクス三国などに当たる地域は760万から二四五〇万、ドイツ、スイス、オーストリアなどに当たる地域は 380万から一一二〇万と、いずれも約三倍の伸び率が推定されている。またエルベ以東の地域では、この間の人口の伸びは一〇%程度にとどまったという。」 p.1

上述のような大幅な人口増加やそれにともなう社会の変化、封建化や地域の編成など、この時期に起きたさまざまな変化について要素ごとに章を分けて解説されています。

概説 成長と飽和

一 人口の増大と農業発展
ニ 領主と農民
三 教会と教会人
四 戦士たちの世界
五 十字軍運動の展開
六 都市の発展
七 知的状況と知識人
八 正統と異端
九 諸王国の政治的発展

感想はこちらの記事で。

1 ローマ・カトリック秩序の確立 山辺規子

一 「グレゴリウス改革」「叙任権闘争」の時代から
ニ 教皇庁の組織化
三 教会の多様化
四 司教座と教区制度の整備
五 最近の教会史研究から

感想はこちらの記事で。

2 地域と国家統合 服部良久

一 権力構造から見た地域と国家
ニ 叙任権闘争以前のドイツ――王権と部族大公領
三 フランス――国王による「地域」形成
四 イングランド――中央と地方の対話
五 シュタウフェン時代のドイツ――諸侯的国制へ
六 中世後期への展望

領邦国家形成に向かうドイツと王権が支配地域を拡大、代官を派遣して中央集権的な統治を拡大させていくフランス、地方自治と王権の直接的な結びつきが特徴的なイングランドといった、漠然とした大雑把な理解までは出来たのですが、個々の詳細については概念や用語が難解過ぎて読んでいて唸る一方でした。

3 貴族・家人・騎士 江川溫


一 研究対象としての中世貴族
二 階級内部の諸集団
三 諸集団の「貴族性」(nobilitas)をめぐって
四 騎士――称号・理念・叙任式
五 貴族身分の再編成に向けて

何をもって貴族とし、どのような人びとが貴族と呼ばれたのか。騎士と訳されるmilesの原義、ドイツやフランスでの使用事例の紹介、騎士理念についてなど。
この章も内容があまり理解できずに感想の書きようがなく、まさに撃沈状態……。

4 インカステラメント・集村化・都市 城戸照子

一 都市と農村をめぐる視点の転換
二 〈incastellamento〉と集村化
三 中世盛期における都市と農村――ラティウム教皇国家の場合

5 市と交易 山田雅彦

一 中世市場研究の基本的視角
二 市のテルミノロジー
三 見えにくい初期の市
四 諸権力による市の掌握
五 新世代の市場の登場
六 商品流通の質的転換
七 大市の発展と市場の運命
八 市場世界と非市場世界

6 領主と農民 渡辺節夫

一 領主=農民関係の理論と具体像
二 領主=農民関係をめぐる理論的諸問題
三 村落共同体と領主支配
四 農奴制確立へのプロセスと動態―― 一一―一二世紀北フランスを中心に
(※横書き表示では読みにくいのですが、英数字であらわすと「11~12世紀」です。)
五 中世後期に向けて――農奴制変質の萌芽

7 知識と社会 ――大学の成立と教皇の介入を中心として―― 大嶋誠

一 大学史研究の動向
二 十二世紀ルネサンス
三 パリ大学の成立とローマ教皇の介入

8 キリスト教と民衆的想像世界 池上俊一

一 想像世界における民衆的なもの
二 民衆的想像世界の変容
三 民衆的想像世界と社会


9 レコンキスタとイベリア半島 尾崎明夫

一 中世盛期のイベリア半島
二 サンチョ大王によるキリスト教スペインの統一とその継承
三 カスティーリャの興隆
四 ピレネー諸王国の台頭
五 アフリカ人の侵入とレオン帝国理念の消滅
六 五王国時代
七 大征服時代
八 アンダルシーアとレバンテ地方の再植民
九 レコンキスタの終焉と一四世紀の危機の始まり
一〇 中世盛期のスペイン文化



2015年10月17日土曜日

『西欧中世史〈中〉』、「ローマ・カトリック秩序の確立」の感想

今回も引き続き、『西欧中世史〈中〉―成長と飽和 (MINERVA西洋史ライブラリー)』の読書で、「1 ローマ・カトリック秩序の確立」についての感想をだらだらと。

楕円ヨーロッパという図式

「一 「グレゴリウス改革」「叙任権闘争」の時代から」中に、
「「叙任権闘争」像は、中世ヨーロッパ世界の構造を皇帝と教皇という聖俗の最高権力にある楕円的構造とみなす理念的な理解に適合的なものである。」p.53
とあります。この図式はしばしば見かけた記憶がありますが、うろ覚えなのであらためて検索してみました。
ウィキペディアの「普遍史」によると、フライジングのオットーの著作からあらわれるようです。
彼について載っていそうな本を探し、見つかった箇所について引用します。

先に引用したウィキペディアでも紹介されている、講談社現代新書、岡崎勝世著『世界史とヨーロッパ ヘロドトスからウォーラーステインまで』から。
「コンスタンティヌス帝以後の歴史の意味を、「混合状態の教会」が発生し、それが完成し、そして崩壊に至る時代としました。かれのいう「混合状態の教会」とは、皇帝と教皇という二つの焦点を持つものとしての「ローマ帝国」を意味します。当時まだ「中世」という言葉はありませんでしたが、かれは、中世世界をいわば「楕円ヨーロッパの時代」として意義付け、それによってローマ帝国を再編成して、中世的普遍史を完成させたのです。」p.86
ミネルヴァ書房、佐藤眞典著『中世イタリア都市国家成立史研究』から。
「彼をもっとも有名にしたのは中世盛期の、特に十二世紀のカトリック的な哲学思想を象徴するような作品『両国年代記(Chronica o historia de duabus civitatibus)』(一一四六年)を書き残したことである。彼は、この八巻からなる作品の中で、創世記から彼の時代の現代までの発展を叙述した。あたかも帝国の首都ローマが西ゴート族によって侵略された危機がアウグスチヌスに『神の国(Civitas dei contro paganos)』を書かせたごとく、叙任権闘争後の教会と国家の分裂が、また十字軍などによる危機への対応の失敗が、オットーにこの『両国年代記』を書かせた。この作品では、世界史の発展が二元論で説明され、結論的には神の国の永遠性に向けて歩み始めることを表示して終わる。」p.29
フライジングのオットーはこの年代記の時点では悲観的・終末的な思想を抱いていたようですが、フリードリヒ1世バルバロッサの伝記である『フリードリヒの事跡』を著したころには悲観的な見方は若干後退したようです。
「この暗黒の時代にどこから光がさしてくるか、シュタウフェン家の興隆が帝国自体の興隆と連関していると言った暗示が、一〇年以上前に書かれた『両国年代記』よりも、この『事跡』をより明るいものにしている。」p.34

「ニ 教皇庁の組織化」、枢機卿団と教皇のかかわりについて

「世襲される世俗の君主に比べ、一般に教皇は高齢になってから登位し長く在位することが期待できないので、枢機卿団という集団指導体制は教皇庁の安定化に役立った。そして、必ずとはいえないが通常枢機卿の中から教皇が選出されるため、ローマ教会を指導する経験を積んだ人物が教皇となることも、円滑で継続的な教会統治体制を作り上げることにつながったのである。」p.58
このくだりを読んで連想したのがヴェネツィア共和国のドージェ(総督)の事情でした。
ドージェは、元老院に属し政府の重要役職に複数回任ぜられた経験があるような名声高い貴族が、高齢になってから最終的にキャリアの「あがり」という感じで選出されていたと思うので、在位期間の短さ、指導経験がある人材プールから任命されるという点で似通っていると感じます。教皇とドージェ、双方ともにおおむね終身職とみなされているという点でも同様かと(教皇の方は少数例外があった気はしますが)。

「五 最近の教会史研究」から、ローマ教皇庁と教皇領について

「ローマ教皇庁についても、…従来退廃の極みのように扱われてきた一一世紀前半までのローマ教皇庁も、ローマ教皇領に一定の領域支配体制を作り、収入を確保する地方貴族による領域再編成策によって財政的な基盤を得る体制づくりが出来たことが明らかになった。それは、普遍的な教会への脱皮という図式のなかで悪しき存在とみなされがちであったローマ貴族とのつながり、教皇領といったローマ教皇庁の世俗支配に関わる部分についても、見直しを迫る意味を持っている」p.73
教会の世俗支配=腐敗という図式は原則論では正しいうえにわかりやすいですが、当時果たした機能を検討し、実態はどうであったのかまで考えを巡らせたほうが得られるものが大きそうです。
教皇領は、実質的な支配はそのときどきで差があったにしろ、あれだけの長期間存続したわけなので、それには相応の理由もあれば必要性もあったのだろうと思います。


2015年10月16日金曜日

『西欧中世史〈中〉』、「概説 成長と飽和」についての感想

『西欧中世史〈中〉―成長と飽和 (MINERVA西洋史ライブラリー)』の 「概説 成長と飽和」を読んでいて気になった点や興味深かったところなどの感想をざっくりとまとめました。

「一 人口の増大と農業発展」にある、農業技術についての記述

「改良された繋駕法…馬の場合、この改良によって一〇倍ものエネルギーを引き出すことが可能に」という部分を読んで、頚木の改良のことかなと以前読んだ『馬の世界史』の内容に連想が。

中公文庫、本村凌二著の『馬の世界史』に、古代より農耕に使役されていた牛と異なり、馬は使役されることが少なかった理由のひとつとして、馬と農耕具を繋ぐための頚木がうまく設計されていなかった点が挙げられています。
「人間が馬の牽引力を十分に引き出すことができなかったところにある。頭をもたげ肩幅の狭い馬には、頚木が取り付けにくかった。
…素朴な頚木では、馬の牽引力はほとんど活用されていなかったわけである。首境に引綱を取り付けた新しい頚木が使われるようになったのは、一一世紀頃からである」(7章 ヨーロッパ中世世界と馬より引用。電子版リフロー形式参照のためページ不明)
もうひとつの理由に飼料を大量に要することですが、三圃制による穀物増産によって馬のための飼料が確保されるようになったと説明されていました。

水車の利用や上述の馬を含む、より効率的なエネルギーの利用、重量犁に代表される鉄製農具や三圃制という農地利用や栽培法の改革などにより大幅な人口の増加が起こりましたが、地域により増加率に差があるのは、未開拓地の割合や利用可能な労働人口などのそれぞれ事情が異なったためでしょうか。
地中海沿岸地域ではもともとある程度開発されていたので伸び率が少なく、エルベ以東では労働力が少なかったとか。などといい加減な推量をしながら読んでいましたが、実際のところを調べるには個別の要素についてきちんと調べないとですね。

「ニ 領主と農民」の領主制用語

土地領主制、裁判領主制、太僕領主制という、領主制の用語について理解が追いつかずいまいちぴんと来ないのですが、上述の用語は「概念的な分類であって、現実の領主が行使する権力はこれらがなんらか入り交じったものである」だそうなので、すんなり入ってこないのも仕方ない部分はあるのかな、と思います。
裁判権は王権と直接結びついていたので裁判領主制は発達しなかったというイングランドの特殊性についての記述が目を引きます。

「七 知的状況と知識人」に紹介されたパドヴァのマルシリウス

「こうした世俗統治論は14世紀に入って、立法者たる「市民」によって構成される世俗国家は、神の恩寵に規定されぬ独自の価値・目的を持つと説くパドヴァのマルシリウスにおいて、一層先鋭化するのである」p.29
何度も見かけた名前なのに具体的な事跡や理論と関連付けられて頭に入っておらず、己が記憶力・理解力に思わずしょんぼりと。
イタリア都市国家の統治や、マキァヴェッリ政治理論などの関連だったはずという、うっすらとした記憶はありますが…。
ということで参照可能な本から探してみました。

ミネルヴァ書房、服部良久/南川高志/山辺規子編著『大学で学ぶ西洋史―古代・中世』から。
「1314年に国王に選ばれたヴィッテルスバッハ家のルートヴィヒ4世(バイエルン人王)は,そのイタリア統治政策に反対するアヴィニョンの教皇ヨハネス22世により王位を否定され,破門された。
これに対しルートヴィヒは,教皇の世俗支配を否定するパドヴァのマルシリウスやオッカムのウィリアムらの理論的擁護に支えられ,また都市や諸侯など幅広い国内の支持により,逆に教皇廃位を宣言した。」p.305
「教皇ヨハネス22世から異端とされた『平和の擁護者』(1326年)の著者パドヴァのマルシリウスや、同じく危険視されたオッカムのウィリアムも,ルートヴィヒの宮廷に亡命した。
彼らは教皇首位権の神的起源を否認し,信者の全体会議が教皇に優越する権限を持つとする公会議首位説に論拠を提供した。」p.312
「マルシリウスは『平和の擁護者』の中で,イタリアを混乱させている教皇権と帝権との闘争を検討し,教皇権による世俗権威の侵害を秩序混乱の原因と考えた。国家の目的は総体としての人間への奉仕にのみ存じ,その国家を支配する法は神の法と切り離される。ここに教皇の支配権は否定され,皇帝権がこれに優越するという結論が引き出された。
信仰から分離した理性は,教皇権を否定する論理さえも構築しえたのである。」p.321

風行社、鹿子生浩輝著『征服と自由 マキァヴェッリの政治思想とルネサンス・フィレンツェ』から。
「ルッカのプトロマエウスやパドヴァのマルシリウスは一四世紀初頭に、アリストテレスの共和国論を同時代の都市共和国の分析に適用している。しかし、彼らは同時に、世界的君主政の枠組みの中で都市を捉えていた。
…マルシリウスによれば、「国家(regnum)」という言葉は、「その意味の一つにおいては、多数の都市や地方が一つの統治の下に含まれていることを意味する」。彼は、そうした大規模な「国家」には一人支配が適切であるとする一方、都市などの小規模共同体には「貴族制や国制(aristocratia et politia)」といった「よく組織された」統治があるとも論じている。
このようにマルシリウスは、世界レベルでの「国家」と都市レベルでの国家を峻別しており、それぞれに適切な統治形態があると考えている。彼は、教皇の世俗的支配を諸悪の根源として論難するとともに、世界規模の統治については皇帝こそ国王や君主たちの上位者であり、地上の支配者たるべきと主張している」pp.40-41

「八 正統と異端」中の誤植?

「イタリアのアルノルド・ダ・プレッシアとその徒党」とありますが、おそらくブレッシア(北イタリアの都市名)でしょう。プとブ、小さめの文字では見分けがつきにくいので、誤植の中でも多い部類かと思います。
同様の例では、ゲッ「ペ」ルスや「パ」ドリオも有名ですね(長らく「パ」ドリオだと思い込んでいました…)。


2015年10月11日日曜日

気分転換に『妖神グルメ』

『西洋中世史上』関連をまとめたり、今更ながらにhtmlについて調べ物をしたりで少々疲れたので、気分転換に小説でもと思って読んだのがこちら。

『妖神グルメ (The Cthulhu Mythos Files2)』
創土社 菊地秀行著

菊地秀行の小説の例に違わぬ異能主人公ものではあるのですが、その異能が氏の定番であるエロス&バイオレンス・アクションものとはひとあじ違い、イカモノ料理の才という何とも珍妙なスキルとなっています。
異色のクトゥルーものということで評判となっていたので読んでみたのですが、主人公の味付けは異なれども中身はやっぱり菊池風です。お色気要素に関しては相当に控えめなので、菊池作品のエロ描写に辟易とする方には読みやすい作品と思います。

私個人の感想で、否定的な物言いとなってしまって恐縮ですが、クトゥルーというネタとのマッチングはちょっと微妙なところがあるなと。旧支配者が多大な力を持っている描写があっても、料理と食事という舞台にセッティングされる時点でどうにも卑小な地点へ引きずり降ろされる感覚が。
一昔前の作品ゆえの、執筆当時の空気を感じ取れるという副次的な愉しみも味わえたし、気になる部分がありつつも総じていえば楽しんで読めたので良い気分転換になりました。

楽しめた……とはいうものの、同著者では他の作品の方がよりダイレクトに面白さを感じたのもまた事実でした。超常の敵に超常のスキルをもって直接的な戦いに挑む主人公というシンプルな構図の方が、私にはあっていたようです。

メフィストやDみたいな浮世離れした美貌の超越的なキャラもいいですが、念法の工藤明彦はイケメンではないのに存在感たっぷりで、異能はあれども地に足がついた安定感が特徴の、親しみやすい実に素晴らしいキャラクターでした。(とはいうものの、念法シリーズはエログロは強めなので、そちらには辟易しないでもありませんでしたが。)

2015年10月10日土曜日

『西欧中世史〈上〉―継承と創造』 章タイトルと執筆者名など

せっかくblogを使って本の感想や紹介をするということで、twitterではやりにくかった個別の章について、執筆者の氏名や内容の簡単な紹介、興味深かった点などの感想をまとめてみようと思います。
紹介とは言うものの、前提知識や能力が不足して充分に内容を咀嚼しきれていない上、読書開始から読み終わるまで時間がかかったために早くも記憶が薄れている部分がありますので、あくまでも未熟な一読者の感想という事でその点ご了承を。

『西欧中世史〈上〉―継承と創造 (MINERVA西洋史ライブラリー)』

ミネルヴァ書房 佐藤彰一/早川良弥編著

副題は、この時代に興味があって何冊か手にとったことがある方ならピンとくると思いますが、ご想像通り古代からの継承と、中世における新要素の創造・展開を指しています。
ということで古代からの断絶と連続性についての話題がたびたび登場するわけですが、古代ローマ、とりわけ末期に関しての知識が身についておらず、本書を読み解くうえできびしい事態を多々招くことになりました。

1995年出版の本ということで、ひょっとしたら現在の研究では覆されたり疑義を呈されたりする部分があるかもしれませんが、全般的には大丈夫なのではと(希望的観測で)考えています。

以下に章タイトルと執筆者、読んでいて興味深かった点をざっくりと紹介。その論説の適切なまとめや紹介とはなっていないので、論説のテーマに関して理解を深めたいかたは、直接手にとってお読みになってはいかがでしょうか。

概説 継承と創造 

古代ローマ帝国末期の混乱からゲルマン系国家の成立、フランクの覇権、カロリング帝国崩壊後の諸王国並立にいたるまでの期間、政治・社会・宗教の重要な要素をかいつまんで解説されています。

1 聖人とキリスト教的心性の誕生 佐藤彰一

「この小論は高貴古代から中世の転換期における、主にガリアでの聖人の社会的機能を探る試みであるが、真の意味での聖人の本質的属性をなすのが禁欲修行であるところから、まず禁欲的自己規律の思想的心性史的背景を多少時間を遡って、また東地中海世界も含めて検討しなければならない。」p.46
聖人の代表的な属性である禁欲修行について、ギリシア・ローマ的禁欲の起源と、その要素を引き継いだキリスト教世界における禁欲を紹介したのちに聖人について解説。

聖人は、治癒などを含む奇跡を行う一般にイメージしやすい典型的な聖人と、司教としての社会的な活動を通じて、地域共同体の政治・社会生活でさまざまな貢献を果たした司教聖人といえるようなタイプがそれぞれ存在していたとのこと。
前者のタイプの聖人であるマルティヌスはたびたび奇跡を成してひとびとに崇敬されたのですが、ある研究者は奇跡を史料から63例拾いだしたうえで、
  • 幻視や予言など超自然的なものとの出会いが23例
  • 異境の神殿の倒壊や火災といった自然現象が18例
  • 死者蘇生や疾病、機能障害ならびに精神錯乱者の治癒という治療行為が22例
と分類。治療については合理的・医学的説明が成立するのが実に興味深いです。
例えばこんな具合に。
「死者蘇生については、経験を積んだ刑吏による絞首刑ではなく、自らの手による縊死の試みであったところから、くだんの奴隷は息を引き取っていなかった可能性が大きい。
言葉と四肢の動きを奪われた娘の場合は、マルティヌスが用いた芳香油が効力を発揮したのではないかと専門家は見ている。
…料理人の狂乱は菌糸類の食物、テングダケの摂取による中毒症状に類似しているとされる。…すぐに原因を察知したマルティヌスは、最初嘔吐によって未消化の毒キノコを体外に出そうと試み、手を料理人の口に入れたのであった。」p.56

マルティヌスは俗人時代に軍隊勤務をしており、そのさいに緊急医療の初歩的知識や経験を身に着けたのであろうと推測されているそうです。

そういった奇跡の合理的説明や聖人のキャリアパスからの推測には物語的な面白さがあり、ついつい創作関係でもちいられているネタを連想してしまうほどでした(web投稿小説でみかける現代からの転生主人公が、先進的な現代知識であれこれのパターンだな、みたいな)。
もちろんただ面白がるだけではなく、そういった合理的な技術とともに宗教的・精神的な言行によるケアが付随していたという点はきちんと心に留めておく必要があります。
「マルティヌスが治癒奇跡の実現にしばしば成功したのは、…心身相関的な病気であった。そのよってきたる原因は極度の不安である。三世紀初頭以来の絶えざる戦乱、とくにガリアで激しかったバガウダエと呼ばれる下層農民大衆の反乱の嵐、飢餓、国家による苛烈な収奪、そして蛮族の度重なる侵入、…人びとの不安をかきたてずにはおかなかった。
…こうした心理状態の表現として、肉体と精神の双方に関わる病気と強迫観念があったのである。病院は組織的というより機能的なものであり、心理療法や催眠療法による暗示と医学的処置の適切な組み合わせで治療が可能であったが、暗示の言葉はここでは一介の心理療法士のそれではなく、義なる神の言葉であった。」p.58

2 ゲルマン部族王権の成立――東ゴート族の場合 岡地稔

ゲルマン部族の王権は、宗教的であり、祭祀を司る神聖王と、その後にあらわれはじめる、軍事上の成果や軍事力そのものを背景とした軍隊王にわかれますが、後者について東ゴートのテオドリック王のケースを中心に分析する内容となります。

ローマに対して特定の官職(ローマ体制内での軍事指導職)を要求したという点は、大陸東方の中華王朝でも同様の事例があったような気がするので(うろ覚えで出典を付けられないのがあれですが)、比較してみると面白いかもしれません。

3 政治支配と人的紐帯 森義信

メロヴィング朝やカロリング朝というフランク族の国家について、王権のありかたや法の適応、従士制と封建といった軍事など、支配とひとに関する事柄についての解説になります。

4 キリスト教と俗人教化 小田内隆

キリスト教と王権の結びつき、教化の過程における聖職者の文化と、民衆の異教的要素や呪術といった素朴な宗教的感情がどのように交わっていったのかなど、中世に進展する社会のキリスト教化について解説されています。

天上の王国に対する地上の「キリストの王国」 と、比喩的に表現された「キリストの身体」という概念が紹介されますが、この本が対象とする初期のみならず、中世の全期間を通して、政治や国家システム、統治の正統性に関連して重要な概念でありつづけます(という理解ですが、正しいと良いなあ…)。

5 所領における生産・流通・支配 森本芳樹

古典荘園制の研究史おさらいののちに具体的な史料をもって表題について紹介・検討が行われます。
想像以上に遠方へ運搬賦役が行われており、 片道150kmに及んでいる例が紹介されていますが、こういった具体例には典型的な中世農村のイメージを打ち壊す威力があるように感じました。

6 西欧中世初期社会の流通構造―パリ周辺地域を中心に 丹下栄

地中海の遠隔地交易の地盤低下と、北海交易の重要性の拡大、金貨から銀貨への変化と銀貨の普及など、交易と流通についての論説です。

この論説の範囲から外れますが、中世盛期から興隆していくイタリア都市国家は、著名なドゥカートやフィオリーナといった金貨を造幣することになるので、中世初期に廃れてしまった金貨への需要がどのように生まれ、どのようにして供給が始まったのか、そのあたりの事情についてあらためてきちんと抑えておきたいと思います。

7 社会的結合 早川良弥

祈祷兄弟盟約や親族集団、ギルドなどの人びとを結びつけた社会的な現象や組織についてまとめられています。
「ゲルマン系の人名は…祖先の名前の構成要素をさまざまに組み合わせて子孫に命名したが、九世紀前後からは父祖の名前をそのまま子孫の名前とした。いずれの場合であれ、人名はあたかも相続財産のように子孫に受け継がれ、個人の名前がそのまま家名の役割をもあわせもっていた。それゆえに、「カロリンガー(カール家)」「コンラデイーナー(コンラート家)」「オットーネン(オットー家)」などの多くの例が示すとおり、中世においても今日の研究においても、個人名に「帰属」を意味する接尾語をつけた形あるいは個人名の複数形で、中世初期の一族を言いあらわす。」p.201
引用例以外では、メロヴィング家はクローヴィスの祖父メロヴィスに由来した名前のようです。このことを覚えておくと、固有名詞と家名の関連付けがしやすく、多少なりとも記憶のしやすさに貢献しそうな気がします。

8 識字文化・言語・コミュニケーション 佐藤彰一

ラテン語によるコミュニケーションのあれこれと、ラテン語からロマンス語が独り立ちしていく経緯について。

カロリーナ小文字について初めて知ったのですが、
「カロリーナ小文字の新しさは、何よりもまずその明快さ、読みやすさにある。…語がそれぞれ他の語と区別され、独立したまとまりとして表現される傾向を強く示している。これは現在のわたくしたちの表現法としてはまったく常識的なことであるが、八世紀以前には必ずしもそうではなかった。語と語のあいだに余白がなく、あたかも暗号文字の羅列のような趣を呈していたのである。」p.231
この文字以前のラテン文章解読は相当難渋しそうですね。日本語ならば、分かち書きされていなくても漢字とかな・カナで単語の区切りを弁別しやすいですが、ラテンアルファベットがひとかたまりとなると可読性が低いなんてレベルでは無さそうです。

カロリーナ小文字に関連して、文字の美観という点で連想したことはこちらの記事で。

カロリング・ルネサンスによるラテン語の純化運動は、乖離しつつあっても完全に分離はしていない「高位変種」ラテン語と「低位変種」ラテン語という状態を破壊することになりました。
「カロリング・ルネサンスという一種の純粋主義を指向した文化活動が、一面においてラテン語の浄化の目的を果たすと同時に、他面においてその民衆的基盤を失う結果をももたらした事実が浮かび上がってくるが、後者の側面はまた視点を変えれば民衆文化のラテン語の桎梏からの解放という性格をもつことを見のがしてはならないだろう。」p.236

9 北欧の世界 熊野聰 

こちらの記事でも少し紹介しましたが、北欧世界について、農業などの生産手段とそこから規定された社会構成、王権の状態について社会的側面を中心に解説されています。
ヴァイキングの語源について言及があり、興味深かったので引用します。
「ヴァイギング(英語 Viking、古北欧語ヴィーキングル vikingr)の語源についてはさまざまな説があって、定説と呼べるものはない。もっとも人気のある俗説は…「入江の人」説であろう。…語源についていえば筆者自身には、「動く」、「向きを変える」、「でかける」を意味する動詞のヴィーキャ(vikja、ドイツ語の weichen「退く」)からの派生語説が説得力をもつように思われる。つまり人びとは通常は、動かない、定着した生活を送っているのだが、ときにこの定着生活の補充のため、交易や掠奪といった遠征・外での稼ぎにでかける。」pp.239-240
「入江の人」説は知っていましたが、著者の語るもう一方の説は、(門外漢なので単なる印象ですが)なかなかに説得力に富んでいるように思いますし、ヴァイキング達のありようを考えるうえでも示唆に富むものだと思います。



2015年10月9日金曜日

ニンジャスレイヤーフロムアニメイシヨン完結!

最終話まで全て見ました。あらゆる意味で異色のアニメでしたが、最終話はわりと普通のアニメ成分が多くて逆の意味でサプライズ。

Flash紙芝居めいた演出や、しょっちゅう縛られて「ンアーッ」なナンシー=サン(もうお約束の状態でエロいとかどうというより笑ってしまう)、毎回違う曲(センスあふれる曲が多く非常にかっこ良い)が流れるEDと、いろいろ楽しめる要素が満載で毎週毎週楽しませていただきました(23話のED曲、bodyは特にお気に入り)。

現在gyaoで全話一挙配信中のようなので、未見の方は今がチャンスですね。あのノリについていけなくても、ともあれ一見の価値はありと思います。

そういえばニンジャスレイヤーはサイバーパンクの範疇に入ります(ニューロマンサーのパロディ作品でもあるし)。
blog最初の記事に書いた、メインではないにしろサイバーパンクネタも載せますよ的な話は一応達成ということでw


2015年10月8日木曜日

引き続き『西欧中世史 上』の読書メモ

昨日ミネルヴァ書房の『西欧中世史〈上〉―継承と創造 (MINERVA西洋史ライブラリー)』を読了。既にtwitterで読了後の感想投稿しているので、こちらにもとりあえず貼り付け。






それだけでは何なので、ツイートした以外で印象深かった内容をつらつらと。

9章で紹介された北欧社会についての解説は、ヴィンランド・サガが好きな人はぐっとくるだろう。

環境の制約のために西欧一般にみられるような三圃制・集村・領主による支配と農奴制という、中世というとまず連想される農村生活は成立せず、散村、独立自営農、寄り合いによる社会のルール作り、選挙による王の承認というかなり異なった社会が形作られていた。

もちろん北欧といっても地域によりけりで、デンマークやスウェーデン南部は肥沃な厚い土壌で西欧と同様の農業が成り立ちやすかったが、それ以外のノルウェーや北部スウェーデンでは薄い土壌で集約的農業が行えず、牧畜や漁労の占めるウェイトが高くなった。
不足した物資は他所で補うということで遠征にでることになるが、交易で獲得することはもちろん、それが不可能であれば掠奪はごく普通に行われていた。
掠奪行の方が有名なのでむしろそちらのイメージのほうが強いかもしれないが、ひたすらに富貴を求めて掠奪を行ったわけではなく、不足を補うという動機は見逃せないだろう。

以下ヴィンランド・サガについて若干のネタバレあり


blogを非公開から公開に切り替えてみました。

blog閲覧を管理者のみの非公開でお試し運用してみましたが、それだとほんとに単なるメモ書きなので公開に切り替えることにしました。
恥ずかしさはありますが、それこそ今更なので開き直ってということで。

2015年10月7日水曜日

『西欧中世史 上』読書メモ

『西欧中世史〈上〉―継承と創造 (MINERVA西洋史ライブラリー)』読書中のメモ。

カロリング・ルネサンス期に成立した筆記スタイル、カロリーナ小文字について。
「典礼用の書物への配慮は、神や預言者、教父の言葉をたんに正しく伝えることだけには実はとどまらなかった。写本の体裁は、そのテクストに込められたメッセージの価値にふさわしくなければならないという観念が強くうちだされるようになる。…書物は神への祈りであると同時に、供物でもあった。書物の体裁とメッセージは一体であり、美麗な書体と装飾とがメッセージの価値をさらに高めると考えていたのである。」p.233

アラビア文字でも似たような事情はあったような気がしたので確認。

『イスラームの生活と技術 (世界史リブレット)』から引用。
「美しいアラビア文字は、それだけより多く神(アッラーフ)の心にかなうものだとみなされた。そして、このような精神の発露としてアラビア書道が生まれ、さまざまな書体が工夫されたのである。」p.26



『イスラーム成立前の諸宗教 (イスラーム信仰叢書)』から引用。
 「イスラームは、偶像崇拝や、アッラーの創造物を真似て偶像を作ったり、絵に表したりすることを禁じた。そのため絵画や造形美術は発達しなかったが、その代わりに幾何学的文様(アラベスク)の他、アッラーの御言葉であるクルアーンをより美しく書き記すために、書道が未曾有の発達を遂げた。そこで使われた文字は、ナバテア文字から発達したアラビア文字である。…イスラーム前夜のヒジャーズに至っては、文字を書くということ自体、殆ど行われていなかった。…新たなイスラーム政権の公式な文字として採用されたアラビア文字は、数十年間の間に急速な発達を遂げる。遅くともヒジュラ暦二十年代(六四〇~六五〇)には、整ったクーファ書体の岸壁碑文が(図Ⅵ-5)、次いでヒジャーズ書体と呼ばれる文字が写本において出現した。」pp.204-206

※同じ内容をtwitterにてつぶやきましたが、先にこちらに非公開で仕込んでありました。blogを非公開から公開に切り替えちゃおうか考え中。

更新の習慣づけ

ということでとりあえず適当に頭のなかに浮かんだ文章をぽちぽちとつっこんでみる。

どんなことでもそうだろうけど、やっぱり慣れるまでは習慣づけたほうが良いのかなと。
時間あけるとそのままフェードアウトしてしまいそうだし。

中身がない適当な記事はあとでまとめて削除してしまえば、非公開から公開に切り替えても問題ないし。

公開にするタイミングはどうしようかな。
本の感想、エディタでまとめたあとにこちらに貼り付けて、それをさらにtwitterに転載する感じで運用してみようか。
そうすれば1~2週間に1回は更新することになるから。
コンテンツというほど大げさというか、他の人が読んで参考になるものを書けるかというと怪しいものだけど、ともあれアウトプットするというのは刺激になるだろうし。

2015年10月6日火曜日

はじめての

今更ながらに初めてblogを立ち上げてみました。
まずは非公開で色々試し、使い勝手の検証と熟練度あげをせねばと、早速記事を作成。

今後は視聴・読書したものの感想を中心に投稿できればと。
webにあげて問題無さそうかつ多少は面白みがある生活ネタも、あれば上げる可能性が無くもない(まず無いか)。


ほんといまさらなんだよなあ。
同年代で(PCやweb関連に)手慣れたひとはとうの昔に立ち上げてて経験済みだろうし。

なんでわざわざ今頃かというのは一応理由がありまして、
  • Twitterを経験して、web上での情報発信への気後れが減少
  • それこそ今更ではあるけれど、blogくらいはやってみたほうがいろいろ便利かなと思い始めた
ともあれ、何事も経験しないよりはした方がいいか、ということで。

Twitterだけで充分といえば充分なのだけど、長文やるにはblogの方が便利だし、
用途に応じて使い分けできれば良いなあとも考えております。